残暑お見舞い申し上げます 【想い出アルバム113】
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早いもので今年も大晦日、歳を取ると1年があっという間にというのはここ何年か毎年の愚痴になりましたが、「えー、後藤デフにするのー」と大騒ぎしたのが昨日のようです。
ところで写真を見ててあまりに惜しいなーと思ったので年の最後は語呂合わせになってない語呂合わせもどきです(笑)。12月32日は何年待ってもやってこないのでお許しを。
昭和45年12月 東舞鶴駅
▲ C58が牽いてきた客車の入換に忙しい西舞鶴区のC1232、日中は東舞鶴での入換が主な仕事だったようです。この罐は1日の仕事を終えると夕方貨物列車の最後尾に逆向き後補機の形で西舞鶴のねぐらへと帰って行きました。
今年も拙い弊ブログに1年間お付き合い下さいましてありがとうございました。どこまで続くかわかりませんが、また来年もお立ち寄り下さいますようお願いします。
それでは皆様よいお年をお迎え下さい。
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今日は12月8日、真珠湾攻撃?いえいえさすがの「おっちゃん」も昭和16年となると影も形もありません。パールハーバーから30年後、今から39年前の昭和46年12月の写真で久し振りに語呂合わせです。
播但線は生野峠、降りしきる冷たい雨の中をC57牽引の客車列車がゆっくりと登って来ました。
▲ 鷹取式集煙装置を纏った重装備の128号機です。調べてみたらこの時点では福知山区の配置で豊岡に移るのは翌年ですが、既に豊岡区貸出しで和田山支区に常駐してたんでしょうか。
しかしこの写真と昨日の記事の上の写真を見比べてみると「線路端で汽車見物」のコンセプトは今も昔も変わりませんな (^^ゞ。当時、爆煙という言葉はなかったと思いますが、いやー凄い迫力でした。
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弊ブログのリンク先でもあるクマさんの「ベアーズ」によると、昨日から高崎のD51498に後藤デフと鷹取式集煙装置が装備されたとのこと。今日の編集長敬白にも載ってましたがやっぱカッコいいですねー。
5月下旬に予定されてる中央東線での運行に備えてということのようで、これは新緑の甲斐路へ出撃しない訳にはいきませんな。
ということで今日は久々の想い出アルバム、498号機の一つ下で今回のモデルとなった弟の姿です。
▲ 後藤デフに集煙装置、ドーム後ろには重油タンクを背負った重装備の499号機が雪の白鳥峠を登って来ました。この罐が奈良運転所に転属する前、福知山機関区時代の姿です。
明日の午後から久々のお泊り遠征に行って来ますのでGW中は更新をお休みさせていただきます。
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昨日は10月6日でC56106、だったら今日は107号機で語呂合わせ。でもそんなにうまく撮ってるはずも・・・・、これがなんとありました。
というわけで、今日は出雲坂根のスイッチバックを登るC56107です。冬休みに出かけた山陰ツアーで初めてかの有名な出雲坂根のスイッチバックを訪れました。この日は生憎の天候でしたが、駅の向かい側の山に登ってスイッチバックの3段とも見ることができました。
昭和45年12月 出雲坂根
▲ まずは駅の手前1段目。出雲坂根を目指してC56107牽引の貨物列車が登って来ます。
▲ 駅でキハの単行と交換し、スイッチバックして進行方向を変えた列車が2段目を登って行きます。
▲ 再度向きを変えたC56は三井野原に向かって最上段を登って行きました。
で、なんでこの写真で罐が107号機だとわかるの?。ごもっともな疑問です。
その答えはネガの次のコマにありました。後続の気動車に乗って備後落合で先ほどの貨物列車をキャッチ。
▲ 備後落合ではこの1枚しか撮ってませんでした。なんで正面から撮らなかったのか今となっては記憶の彼方です。
「木」の札はたしか木次線管理所でしたよね。そういえば木次線管理所ってどこにあったんでしたっけ。
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「おいでませ山口DCツアー」の記事も、(26)までになってしまいましたが、今回が最終回ということで。
昨日は昭和47年でしたがその2年後の49年春にも山陰方面を訪れました。その時の益田界隈です。
▲ 益田駅で発車を待つ貨物列車。牽引機のD51753は長野からやって来た罐で長工式集煙装置を装備していました。753号機は山口線管理所(津和野)に所属してたのでこれは山口線の貨物列車かもしれません。
▲ 浜田機関区のC56は三江北線(当時は全通していませんでした)の貨物列車用だと思ってましたが、2年前に続きこの時も益田にいました。交替で益田へ入換用に来てたんでしょうか。とすれば今のやまぐち号の重連のように浜田から益田までC57定期列車でのC56・C57の回送重連があったかもしれませんね(眉に唾つけて読んで下さい (^^ゞ )。
126号機は大糸線からこの1年前に浜田へ転属してきた罐でC56には珍しく集煙装置を付けていましたが、この集煙装置も長野工場製のようです。今は北杜市内の小淵沢小学校に保存されています。
次は先日撮った写真との対比でご覧いただきましょう。
▲ 益田駅上り方から見た岡見貨物。この写真を撮った時は全く覚えてませんでしたが、こんな写真が出てきました。
▲ 上の写真のC56が右側で入換中、D51の本線上り貨物が左側で発車を待っています。線路配置やバックの跨線橋からみてほぼ同じ位置からの撮影だと思います。今も昔も山陰本線の貨物列車は同じ所に停まってます。
停車中の写真ばかりなので最後に走行写真も。益田から西へ五つ目の駅宇田郷を通過して益田方面へ向かう上り貨物列車です。
宇田郷~須佐
▲ 宇田郷を出た上り列車は日本海に沿って北上し、短いトンネルを二つ抜けるとこの惣郷川橋梁にかかります。河口を跨ぐというよりは海に架かる橋梁と言ってもいいほどで、今も昔も山陰本線の名撮影地のひとつですね。貨物列車を牽くD51は日本海をバックに美しい白煙を見せてくれました。
昭和7年に竣工したこの惣郷川橋梁ですが、平成13年に選奨土木遺産を受賞しています。
この週末は6月以来久々に東のC57を見に行って来ますので、更新はちょっとお休みさせていただきます。
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